人生

こういう私的感情のネタや、セキュリティネタに通じないものはこちらにはかかない予定でしたが、こればっかりは‥ってことでいきなり例外処理。
今年に入ってすぐ、マイケルブレッカーというそれはそれは個人的思い入れの深いミュージシャンが鬼籍に入りました。語りだしたらきりがないのではしょりますが、彼の音に出会わなければまた違った音楽的趣味を持っていたでしょうというくらいに重要な人でした。
今週、彼の遺作であり、白血病闘病生活のまさに真っ最中、ぽっと訪れた明るい兆しの真っ最中にレコーディングされ、完成したのが彼の死直前だったといういわくつきのアルバムをやっと聴くことができたのです。
プレイボタンを押してすぐ、数十秒くらいでしょうか。彼が死んだということをやっと自覚した俺に「あれ?このアルバム、マイケルの死ぬ直前のレコーディングだったよな?」と思わせるようなそんな音を見せ付けてくれました。いやあんた、反則でしょその鬼気迫るプレイ。死を目前にした人がそんなプレイしちゃいかんでしょの連続。何度も病気発症直前かと疑いました。
エンディングまで彼のサウンドを聴き、最後の一曲だけをリプレイしたその瞬間、彼がこのアルバムに込めた魂がわかったような気がしました。彼は音楽家だったのですね。彼は音楽という、サックスというツールを元にメッセージを送りたいと思った表現者だったのですね。そんな思いが頭の中を駆け巡りました。それと同時に、今まで自分で考えていた、「運命」というものをいまさらながら感じました。
私の友人が峠でバイクを駆り、挙句の果てに頭を岩にぶつけるという事故を起こしたとき、医者は「覚悟を」といい、周辺の全員が覚悟を決めていたとき、自分はそう思いませんでした。知人が自分自身をあやめた時もなぜかその人はまた戻ってくると確信しました。それは彼らにはもっとやるべき事があり、それこそ運命であると思ったからです。
しかしながら、マイケルブレッカーが病に倒れたというニュースが飛び込んできたとき、彼らのような思いはありませんでした。なぜか「あぁ、だめなんだろうなぁ」という思いでいっぱいになりました。そんな状況が続いたある日、ライブに飛び入りですとかレコーディング開始とかいう情報が飛び込んできたわけです。自分の耳を疑いましたし、その(いい意味での)予感のはずれを喜びました。
が、やっぱり予感は的中したわけです。
でも、やはり私が勝手に見込んだ人でした。彼は最強のメッセージを残したのだと思います。
人は追い込まれたとき、できうる限りのことを行うべきだ、と。あきらめるなといってはいません。あきらめないのであれば、治療に専念すればよろしい。でも、彼はそうしなかった。自分ができうる限りのことを行い、そして旅立ったのだと。
もちろん家族のためにはがんばったでしょう。がんばったからこそ、"kiss you"が生まれたのだと思うのです。
そして、運命にからめて彼の死を考えるのであれば、やはり彼は死ぬ必要があったのでしょう。グラミー賞を13回も受賞した人間を助けるためにはよりいっそうの努力が必要なのは言うまでもありません。そしてそれを成し得る人は、実は残されたわれわれ一人一人なんじゃないかということを、彼は体を張って証明したのかもしれません。
そんなことをつらつら考えながら彼のブロウを聴くと、なおさら彼のアルバムは車への持込は厳禁とせざるをえなくなるのです。飛行機の爆発物よりある意味危険なのです。なにせ運転手たる私の前が涙で見えなくなるからです。
もし仮に、私が涙ながらに突っ込んできたときはそれもまた運命と甘受してください(ぉぃ