マニュアル

オープンソースの関係者って、プログラム作る人と検証する人とドキュメント整備する人と使う人、4種類に大別できるんだけど、ドキュメント整備の人員が決定的に足りてない場合がおおいよなぁ、と思ったり。
わりと最近、Ubuntuのリリースに備えたドキュメント翻訳隊募集があったんだけど、MLの雰囲気からみると人数的にはあまり集まらなかったような。集まった人が情熱のある方々だったのか、意外に順調に進んでます、みたいな投稿があり、ちょっと一安心しつつ、「こういうことを地道にしなかったのが解散につながったんだよなぁ」と反省してしまった。
日本の場合、とりあえず手に入る英語版とかを訳せばいいので、実はドキュメントを整備する労力は低い*1のだけれど、それすらまともに機能しないってところがオープンソースのびみょーなところなんじゃないかと思う。で、苦労して(してないかもしれないけれど)英語のドキュメントを読んだ人が質問に答えている、という状況は、少し何かが噛み合ってないと思う。
よく「ソフト難しそうだから使用する側で…」って人いるけれど、そう思うのならもう一歩前に出て「うまく訳せないかもしれないけれど辞書引き引きやってみようかと」なーんていう人が一人でも多く出てくればもっとみんなが幸せになれると思うんだけれどなぁ。ドキュメントを読んだ人が質問に答える形だと、その答える人が答えるのに疲れてしまったらおしまいだからね。でもドキュメントがみんなに読める形に整備されていれば、質問に答える必要があるのは(極論すれば)ドキュメントに書かれてはいない、ノウハウの部分やソースを見ないとわからない隠し機能の類だけになるから、答える側の時間的負荷が減ると思うんだよね。
書籍の翻訳作業手伝ったことのある俺の経験から行くと、英語しゃべれなくてもなんとかなります(笑)。辞書を引き、何を言いたいのか一生懸命考えると結構できるもんです。ちょっと時間がかかるし、辞書引く手間がどうしても増えちゃうけれどね。どうしてもわからない英文は放置して誰かかわりに訳して、と書いておけばいいしw。少し放置して見直すと案外すんなりと何を言っているかわかったりすることもあるし。
それより何より、オープンソースの開発者と同じくらい重要なことをやっているんだという名誉の肩書きを(プログラムわからなくても)得られる特典がついてくるんだけどな。1ページでも、1行でも、得られるメリットは大きい。デメリットは普通の人がやらないことをやることによる時間確保の難しさかな*2
ま、マニュアルとFAQ印刷だけした状態で絶賛放置プレイ中な俺に言われたくないって言われそうだけど(爆。いやほんと、やる気はあるんですよ。ちょっと一歩が踏み出せない状況なだけで(爆

*1:とりあえず訳すだけで検証しない場合。この場合、ソフトに関する知識が0でも結構なんとかなる

*2:例:うちの連れの機嫌を損ねないようにするw